| @ | 欧米に比べて、遅れた日本の乳癌治療 |
| A | 温存療法に対する、医師の姿勢が問題 |
| B | 手術では、複数の医師の情報を得て判断する |
| C | 乳癌治療に際して、患者が決断するまでの経緯 |

★いくつもの研究の結果、1990年には、米国立保健研究所が「T期、U期(しこり5a)の大多数には温存療法が望ましい」と勧告した。
★温存療法とは、癌のしこりと周囲をくりぬき、再発予防に放射線をかけるもの。
日本では、セクト主義のため、実施が遅れる
★当時、日本では全体の1割ほど。外科と放射線科の連携が進まず、導入が大幅に遅れた。
★最も早く始めた慶応大放射線科の近藤誠医師と、外科医の雨宮厚さんは「世界的な標準治療をしてきただけ」というが、長く異端視された。
慶大の温存療法の成績は、乳房切除と同じ
★同チームは83年からこれまでに約1500人を温存療法で治療した。その結果、生存率は次の様で、乳房切除と変わらない。
| 進行程度 | 生存率(%) |
|---|---|
| 0期 | 100 |
| T期 | 96 |
| U期 | 94 |
| V期 | 68 |

温存療法をした患者の症例 |
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中川恵さん(49) |
説明もなく、「全摘出」ですとの宣告 ★「癌ですね。乳首を取ってゼンテキです」。10月中旬、中部地方の病院で胸の超音波検査をうけていた中川恵さんは、医師の突然の言葉に驚いた。上半身はだかで横になったままの姿だ。無防備な自分。医師の見下ろす視線。 ★「ゼンテキって何ですか?」と尋ねると、「乳房を全部取ることです」。「全摘出」だとようやくわかった。乳房を残す方法があることを新聞で読んだ記憶があったので聞くと、「温存は、初期の人」。詳しい説明もなく、医師は取ると決めている。 乳癌の経験者の会「ソレイユ」に出会う ★帰り道の書店で見つけた本で、横浜市にある経験者の会ソレイユを知った。前出の東京都目黒区にある東京共済病院の馬場紀行医師を紹介され、夫とともに上京した。 ★検査の結果、しこりの大きさは3aほどだった。医師は、乳房切除術、乳房温存手術を図を使いながらていねいに説明した。 ★欧米では温存が標準治療であること、中川さんの場合、乳房を取っても温存療法でも生存率に変わりがないこと、ただし放射線をあてるので治療期間が1月以上かかることなど。 ここで、温存療法を受けることを決意 ★信頼して温存療法をうけることに決めた。手術を終え、今は地元で放射線治療をうけている。 ★中川さんは「本当にラッキーでした」。夫(52)は「こんなに治療法が違うなんて。最初の医者は高飛車。患者はわらをもつかむ思いなのに」と憤る。「でも、なまじっか説明する先生だったら、信頼して全部取られてたかもしれないから、ひどい先生でよかったのかもしれない」 |
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菅谷光子さん(54) |
地元岡山の病院で、「全摘出」を薦められた ★娘の行動力で温存療法にたどり着いた人もいる。岡山市の菅谷光子さんは、神奈川県鎌倉市の大船中央病院で、1日、温存療法の手術をうけた。 ★2週間前に、地元の病院で乳房を失っていたはずだった。先月、岡山市の病院で乳がんと診断された。「初期も初期。乳房を全部とれは安心です」。がんの衝撃より、早期発見で「ラッキーだと思った。すぐ手術の日を決めた。 長女が温存療法の情報を入手 ★東京で暮らす長女(32)に電話で話すと、驚いた長女は「ちょっと待って」。その日のうちに友人の内科医に相談し、「今は世界的に温存が主流。一人の医師の診察で決めちゃだめよ」と知らせてきた。 ★翌日、長女は図書館で見つけた乳がんの本を手がかりに、温存療法の経験者に電話した。放射線科と外科の専門医を紹介された。すぐに、光子さんを東京に呼び、両医師と話し合った結果、温存療法をうけることに決まった。 ★「オッパイは一度切ったら、生えて来ないのよ、と娘にいわれてハッとしました」娘の機転。図書館。温存療法経験者との会話。いくつもの偶然で温存療法にたどりついた。 ★命か乳房か、ではなく、命も乳房も残せる時代になったのに、まだまだ情報が行き渡っていない。会う人ごとに、自分の体験を話すつもりだ。 |
| 温存療法をしなかった患者の症例 | |
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俵萌子さん(67) |
温存療法の説明もなく、術後に知る ★評論家の俵萌子さんは、昨年3月、乳がんで乳房を失った後、くわしく温存療法を知った。主治医は切除に決めていたため別の方法はあまり話さなかった。 ★術前は生死を考えるので精いっぱい。世界の乳がん治療が温存に向かっているとは知らなかった。 乳房喪失は無念。あきらめられない ★「乳房喪失はあまりに無念。人生で初めてあきらめられないことに出会った」。俵さんによると、切除後の病理検査では、ガンは乳首周辺にしかなく、リンパ節への転移はひとつ。 ★「だったら、乳首と乳輪を取って形成できなかったのか」と、いま思う。 別の医師の意見が聞ける制度が望ましい ★同じ結果になっても、別のドクターの判断をききたかった。 ★そのためには、全検査結果のコピーを患者が持ち、]線写真も簡単なサインで借りられるような制度を一刻も早く整えるべきだという。 ★インフォームド・コンセントというなら、その土俵に患者が上がれるような条件整備がかかせない。俵さんは後遺症もないため、主治医には感謝しているが、セカンドオピニオン(別の医師の判断)がきけなかった無念さは残る。ときどき、切り取られた乳房の山を夢に見る。 |
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山口県女性(50) |
温存療法の存在を術後に知り、ガッカリした ★「えーつ。私も残せたの」。山口県の女性(50)は、市民グループの会報を読んでショックで全身が熱くなり、へなへなと座り込んでしまった。 ★昨年5月、地元の病院で乳がんと診断され、乳房を全部取る手術をうけた。左乳首の上の方に、3a近いしこりがあった。 説明が「対象外」。納得してしまった ★手術前、妹から乳房を残す方法もあると聞いたが、主治医に「温存療法ね。あれは初期の人。あなたは乳首に近いから無理。どの病院でも取りますよ」といわれ、温存の対象外だと納得していた。 自分の無知に後悔。患者の会を作る ★だが、9月末に届いた患者会の会報には、乳首との距離は関係ないとの医師の講演記録がのっていた。 ★「先生は、時間をとって説明してくれた。私が、無知で納得した事を悔やんでいます」 ★友人は「取ってさっぱりしたでしょ」という。医師は診療のたびに「傷はきれいですね」と満足そうだ。「そうじゃないじゃろ」と心の中で思う。医師に患者の思いを伝えたいと、看護婦と協力して病院に患者の会をつくった。 |