医療不信(投書編)絶対でない診断。医師も患者も認識を
医師および患者、さらに行政に検討課題があるのではないか
朝日新聞(2000-06-17)から引用



今月9日から3回にわたって掲載した「医療不信」に対し、300を超える投書や電子メールが寄せられた。診断ミス(誤診)を防ぐため、「まずは『わからない』のすすめを」と呼びかけたところ、約30人の医者や患者から意見をいただいた。あいまいな診断を下すのなら、むしろ「わからない」と言ってしまってはどうか、という提言だったが、医師からは「そんな無能な医師だと患者が逃げてしまう」などと手厳しい批判もあった。一方、患者の方は、むしろ「ごまかさず『わからない』と言ってもっらったほうが信頼できる」など、賛成意見がほとんどだ。(くらし編集部・佐藤 純、辰濃哲郎)

@医師および患者の双方に、改善すべき課題がある
A医療不信の解消は、「医師教育の見直し」から始まる


医師および患者の双方に、改善すべき課題がある


問題の一つは、医師の「プライド」
★投書を伺度も読み直してみると、この「わからない」は、医療不信の根っこにあるさまざまな問題点に共通するキーワードである気がしてきた。
★ある小児外科医の投書。「医師も人間なのだから、わからないことはある。患者にうそをつくことと、安心させることとは違う」と基本的には賛成だ。しかし、一方で、「医師も患者もそれを望んでいない。一番の問題は医師のプライドと、患者さんの主体性のなさ」という。
★ある女医は、「患者の訴え、症状、所見から、何が原因なんだろうという科学者の探求心があれは、『わからない』という言葉は出てくるはず。メンツのような感情は捨て去らないと。医療は完全でも確実でもない」と言い切る。
一方で患者の「主体性のなさ」も問題
★2人に共通するのは、
 @診断は絶対ではない
 A過度の「プライド」を捨てなければならない
ということ。だが、患者がそれを受け入れてくれるかどうか。「お医者様に治療をお任せする」という「パターナリズム」はいまでも健在だ。
★その患者に向かって、診断は絶対ではないことを表明することは、勇気のいることらしい。しかし、患者側の意見を読んでみると、医者が思っているほど医療に対する意識は低くない。
問題は、患者が「納得していない」ということ
★寄せられた多くの投書は医師の誤診に触れている。本当に誤診かどうかは検証のしようがないが、問題なのは、患者が治療に納得していないということだ。
★9日付の紙面で、腹痛、おう吐、下痢の症状を訴えて病院で診察を受けたが、3度も「風邪による腸炎」と診断され、最後は盲腸による腹膜炎で、手術後に死亡した女児のケースを取り上げた。
★「同じケースです」といって投書をくれたのは、30代の母親だ。6歳の子供が同じような症状で診祭を受けた。違っていたのは、病院の医師が「原因がわからない」と言ってくれたことという。医師は、盲腸と急性胃炎の両方を疑って、どちらでも対応できる治療法を入院しながら継続したという。最後には、手術を決断し、盲腸による腹膜炎にもかかわらず、無事回復した。医師は親に、なぜ鎮痛剤を使わないのかなど、治療法をそのつど説明していた。処置がベストだったかどうかは別として、医師は患者と向かい合っていた。
「わからない」と言われた方が、信頼できる
★このほかにも意見が相次いでいる。「命まで危険にさらすよりは、わからないと言ってくれた方が信頼できる」。「わからないから、と言って別の病院を紹介してくれた」。「わからないので医学書をチェックしてきます、というので一瞬信じられなかったが、その真摯(しんし)な姿勢がうれしかった」。
★まとめてみると、医師は、
 @わからないから患者に考え得る可能性について説明しなければならない
 Aその可能性に照らし合わせて別の病院を紹介しなければならない
 B患者も「医師は絶対」ではないことを知り、一緒に治療法を選んでいかなけれはならない。
★つまり「わからない」と言うことは、患者に対して責任をもっということで、患者も診断が絶対であるという幻想を捨てなければならないのだ。
★内科医を夫にもっ妻からの投書があった。夫が研修医の時代、相当な裁量権が与えられていることを知って驚いた。夫は「自信がなくても患者に悟られないようにするのが医者の力量のひとつ」という。しかし、この妻は、「若いうちから『絶対』という鎧をかぶっていると、何か迷ったりしたときに決断を急いでしまったり、絶対であるという錯覚に陥ったりするのではないか」と懸念したという。
★印象深い投書があった。「医師と患者の断絶をなくし、『ブラックボックス』を共有できないだろうか。医師は豊富な専門的な知識を持っている。どんなにわからなくても、いくらかの情報を持っている。それを患者と一緒に考える。
★患者という存在を交えた『新しい診断』は医師と患者者の障壁をとりのぞかせ、医療への関心へと導き、この関心が国民の健康を気遺う心となってくれれば」この投書は、医学部を目指す高校3年生の女生徒からだ。


医療不信の解消は、「医師教育の見直し」から始まる


多くの「医療ミス体験記」が送られてきた
「えっ、こんなにたくさん?」というのが率直な感想です。腹痛を訴えた女児が「風邪による腸炎」と診断され、最後は盲腸による腹膜炎で亡くなったケースには、「私の場合と同じ」「私もこんなことがあった」などの投書が殺到しました。正確ではありませんが、300通を超える投書のうち7割近くは、体験記です。
★なかには、「私たちの声を厚生省に届けてください」と訴える投書もありました。「女児が亡くなった病院名を公開べきだ」という怒りの手紙もたくさんありました。
「医療不信」の原因は多々。問題は根深い
★医療の現場で何かが起きているのか。あるいは、ずっと以前から起きていたものが、ここにきて噴出しているのか。医師個人の問題とは片付けられない根深い問題があるような気がします。
★投書から、不満の所在を拾ってみると、 
 @患者が十分に説明を受けていない
 A医師や看護婦が忙しすぎて患者の話をゆっくり聞けない
 B医師が患者を見下している
 C医師同士も自由にものが言えない上下関係がある
 D診療所と大病院だけでなく、同じ病院内での連携がとれていない
 Eチーム医療ができていない
 F患者の疑問や苦惜情聞いてもらう仕組みが不十分。
★ここまでくると、心ある医師が患者に十分な説明をしようと心がけるだけでは、不信が解消されるとは思えません。医療の問題というより、教育制度や診療体系の問題のような気がします。患者の権利をきちんと保障するルール作りはもちろん、患者と同じ目の高さで医療を考えることができる医師教育ができないものでしょうか。(辰濃哲郎)